top of page

ずっと変わらないこと


個展を開催した月光荘画室3の隣には、おなじく月光荘が運営するアトリエエムゾがあり、お店には誰でも無料で使える画材が用意されています。 甥っ子たちが遊びに来てくれたとき、小さな4人が集まってエムゾさんでお絵描きをしていました。4人は仕上がった作品をギャラリーにいた私に見せにきてくれたのですが、駆け込んできた4人の表情が生き生きとしていて、はっとするほどでした。なんでも私に見せるために頑張って描いてくれたのだとか! 4人の姿を見て、きっと私も同じような子供時代を過ごしていたんだろうなと思いました。私の家には祖母がいて小さい頃はずっと一緒に過ごしていました。祖母はいつも新聞の折り込み広告をお絵描き用に二つ折りにしてくれて、絵を描けばいつも、必ず、褒めてくれました。これは私にとって、とても大きなことだったように思います。 小学校、中学校と体育も算数もダメだけれど、美術だけは得意だった井の中の蛙、最初の挫折は高校生のとき。高校は美術学科だったので、県内各地から絵の上手な子が集まり、自分が全く描けていないことに気づくのは入学して間もなくでした。名物の鬼教師と出会い、泣きながらデッサンをしたこと、絵に点数が付けられること、私は下手なんだと深く心に刻み込まれたのも大きな出来事でした。それから作品に関しては常に恐る恐るの感情があります。高校生の多感なときに刻み込まれたものは、きっと死ぬまで消えないのだと思います。 個展の直前や開始直後はどうしても不安になり、高校時代の出来事が大きく顔を出してきます。「もうここまで来たんだからしょうがない!」という覚悟でのスタートですが、毎日来てくださるお客様と話していると、幼少時代に祖母と過ごした時間に戻っていくような感じがします。個展は純粋に絵が好きで、姪っ子たちのような「見て見て!」と、自分の大好きなものを見て欲しかった子供の気持ちに戻してくれる、特殊な時間なのだと思います。 ちなみに高校時代の鬼教師は芸大日本画科卒の先生。とても厳しい方で、受験を控えた私は「お前は何者にもなりゃしないんだよ!」と怒鳴られたのですが( 笑)、後日担任の先生から「あいつは絶対受かる。と言っていたよ。」と聞かされて泣きました。あの先生には美術に対する真摯な気持ちと、これから美術の世界で生きていこうとする子供達への愛情がありました。だから厳しくて不当な扱いを受けていても、今でも先生を忘れることができないのだと思います。 東村アキコさんの漫画「かくかくしかじか」、自身の高校時代から美大時代、その後の漫画家デビューまでを綴った自伝なのですが、学生時代に出会った鬼教師との逸話はもう涙なしでは読めません...!! 油断しそうになるときに、今でもふと心に現れる先生。祖母との時間も、鬼教師との時間もどちらも同じくらい大切な時間です。


bottom of page